人の上に立つって超大変
基本的に僕は大人が嫌いですし、馬鹿なのに偉そうにしている人とは同じ空気を吸いたくないです。
だから、自分の上に立つ人は基本的に嫌いです。
なので、大学教授やバイト先の本部の部長とか心の奥底から大嫌いです。
なぜ嫌いか。
馬鹿だからです。
僕よりも、知識がなかったり、僕よりも視野が狭かったり、僕よりも管理能力がなかったり、「あなた何ができるんですか?」と聞きたくなるくらいスキルがなかったり、と。
(僕は20代前半ですので、こんな糞ガキにそう思われている大人ってどうよ?)
が、一方で20年後自分が上の立場になった時の事を考えると一気に怖くなります。
きっと、僕もそう思われるんだろうなって。
部下が20人いるとしたらその人々にすべてのスキルで勝つのはほぼ不可能です。
きっとどこかで劣ります。そうであれば、間違いなく「馬鹿だな」と思われるでしょう。
けど、仕方ないのかなと。
人をうまく使っていかないといけないのかなと。
って、色々考えると本も読まない社会人って本当になに考えていきてるんだろうね。
マジ、考えられんわ。
こんなとこです。
「ゆとり世代」は「生まれた時からWebがあった世代」です
ゆとり金閣寺
http://recruit.netseiho.com/2015/special01/content5.html
僕はこれを見て大変不快だ。
なぜ、わざわざ採用ページに「ゆとり世代」と書くのか全くわからない。
「全く最近のゆとり世代は・・・」といったおじさんたちの愚痴は全く意味のないもので、僕は「ゆとり」批判をできる人は大変頭が良いか、馬鹿かどちらかだと思っている。
僕は平成元年生まれなので一応「ゆとり世代」ではあるが、「ゆとり教育」なんてものを受けた記憶はない。小学生になってから今まで「週休完全2日制」であったことなんて一度もないし、中学の時も公立ではなかったので普通に土曜日学校があった。
そんな人を含めて「ゆとり世代」と言っているのはおかしい。
一般におじさん達が指す「ゆとり世代」は自分たちと違って手に負えないという意味で使っているかと思います。
手に負えないのは当たり前です。世の中変わっているのですから。
スマホすら使えないおじさんたちは、あいさつのできないゆとり世代となんにも変りませんよ。(スマホ使えないってどういう事?)
ちょっとググると「ゆとり世代」の特徴みたいなものが出てきて、
ゆとり世代の特徴5つ
1.先輩社員や上司と話そうという意識があまりない
2.よく考えて行動する習慣がない
3.他者の視点に立った考え方ができない
4.楽して「成果をあげたい」と思っている
5.チャレンジする気持ちがない
だそうだ。
そりゃそうだ。
馬鹿な先輩社員や上司と話すよりも、スマホを見ていた方が楽しいし、もはや考える必要もない事はたくさんある。(ググれる)
他者の視点に立った行動ができていないのは「ゆとり世代」の方ではなくおじさんたちの方だ。彼らは僕たちの立場に立って考えれない。それに、ぬくぬくとスキルもないのに年功序列によって給与が倍なおじさんたちと一緒に働いているのだから楽して成果を出したいと思うにも仕方ない。
チャレンジ精神がある人自体少ないだから世代に関係ない。
と別に「ゆとり世代」とは関係ない。
おじさんたちは自分が理解できないからといって「ゆとり世代」と言って、目の前にいる若者について思考停止するのはやめていただきたい。
僕たちはただ「生まれた時からWebがあった世代」です。
それのよって、おじさんたちとは違う環境で勉強してきたんです。
こんなとこです。
僕は大人が嫌いだ
いちえいは、来年から働く大学院生です。
もう十分大人なはずですし、自覚をもって社会人として行動しなくてはいけないはずです。きっと。
が、僕は大人が嫌いです。
僕の大人像って
・「仕方ない」と言って現状を受け入れている
・なんでも言い訳
・「やってみないとわからない」と言うその場しのぎ
・過去の栄光の自慢
・自分が一番輝いていた時から進歩していない
・つまんなそう
・変な体裁とかを気にする
って感じ。
絶対、嫌。
本当に、マジでなにかをやっている大人って圧倒的に少ないと思うんだけどどうだろうかね
僕は、
・ひとつの事をアホみたいに取り組む
・馬鹿なことをして笑う
・気とか使わない
大人になりたいね
こんなとこです
「あり得ない」って何?
先日、ちょっとした事で普段行かないスーパーに入りました。
「へぇー、こんなとこにスーパーなんてあったんだ」
って感じでふら~と。
入ってみたらびっくり!
やたら高い。
初めてのお店に入ると、
なんでも値段が気になってしまって、ひと通りの日用品の値段を見ちゃうのですが、
全部高い。
例えばですが、バナナがビニールの袋に一本一本入っていて一本198円。
高!(房からとってビニールに入れるコストいくらだよ)
お肉も、一番安い鶏肉で100グラム208円。
高!(胸肉なのに)
ふと、周囲をみるとなんか店員さんも小奇麗な格好をしている。
なんか、「どこの家政婦ですか?」と突っ込みみたくなるシャレた服装をしているわけです。
マジか~
どうしよ~
と思っていたのですが、
なにも買わずに出るのもあれなので、この店にしかなさそうなものを買って帰ろうと思い、スーパーの中をぐるぐる。
見つけたのは、「特製プリン」!
お値段298円。(ここスーパーですよ!)
最近良い事ないから、特製プリン食べて幸せな気分になろうとレジを待っていると
6歳くらいの子供が、店員さんに向かって
「オーガニックの納豆ください」
って言っているのを目撃。
あり得ね~
まず、納豆にオーガニックがある事にびっくりだし、
6歳くらいの子供がこのスーパー(おそらく超高級)に一人でいる事もびっくり。
さらに、普通に対応している店員さんにもびっくり。
あり得ね~。
理解できね~。
と思って、
プリンだけ買って帰ったのですが、
帰り途中に「こんな体験久しぶりにしたなぁ」といった変な満足感と
この「あり得ね~」って感情って一体どういう感情なのかといった変な疑問が湧いちゃったわけです。
あり得ないと思った事は間違いないのですが、僕があり得ないと思った事は実際あり得ているのです。そこに対する疑問・モヤモヤ感と、この感情って僕にとって良い感情なのか悪い感情なのかといった疑問が、ふつふつと湧いてきてしまいました。
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なので、色々と考えてみました。
「あり得ない」という感情は、
「人には日頃から想定している出来事があり、それとは全くかけ離れておりかつ瞬時に理解できない出来事が起きた時に生じる感情。この感情は嬉しいとか悲しいとかいった感情ではない。」
かなと。
僕の中では、
バナナが一本一本袋詰めで売られている事は想定できなかったし、鶏肉がやたら高いのも想定できていません。6歳の子供に口から「オーガニックな納豆」って単語が出てくる事も想定外です。
だからと言ってバナナがやたら高い事も、6歳の子供に口から「オーガニックな納豆」って単語が出てくる事も悪い事ではありません。僕が想定できずかつなぜそんな出来事・状況が起きているのか理解できないだけです。
もっとも、僕はこのスーパーの利用者に「お金持ちでいいなぁ~」といった嫉妬心もなければ、このスーパーに「また来たい」と思う事もないですし、
起きた出来事が、想定できておらず、かつ瞬時に理解できなかっただけす。
ただ、この「あり得ない」って感情が久々だったのです。
この体験とこの「あり得ない」という感情の考察によって気づいた事があります。
あ、案外、色々な事を想定して生きてるんだな。自分。
と。
僕は自分で変人である自信がありますし(なんだその自信)、
マジョリティよりマイノリティの方が優位であると本気で思っています。
一方で、どんな変人も許容できると思っています。
(もし、自分が変人を許容しないと、自分は絶対に他者から許容されないと思っているため)
けれども
「僕はあまりにも多くの事を想定して生きているんだな」と実感してしまいました。
(スーパーに行っただけなのに、こんなに「あり得ない」と思うなんて)
色々な事を想定して、それ以外の事を排除して生きていくのって楽かもしれないですが、「それってどうなの?」って改めて思ってしまいました。
いろーんな事に首を突っ込んで、いろーんな経験して、いろーんな人としゃべって、
「へぇ~、世の中にはこんな奴がいるんだ、こんな考え方もあるんだ~。超おもしれ~。」
って思いながら生きていくのが絶対楽しいかなと。
だから、僕の中では「あり得ない」って感情は「あり得ない」にしようと。
全く理解できない事があっても、その場で考えればなんかわかるはずですし。
「世の中、超おもしれ~」って思うために、
まだまだいろんな事に首突っ込んでみよ!
(最近、物理学の勉強を本気でしてみたいです。ナビエ・ストークス方程式とか。
なんか良い本教えてください!)
こんなとこです。
そんじゃーね!
僕はこんな奴と一緒にいたい
以前、
圧倒的に凄い人の特徴 とこの人馬鹿だなと思う人の特徴 は書きました。
いちえいが一緒にいたいと思う奴の特徴を書いておきます。
・変人
・自分の考えを言える
・議論できる
・専門分野を持っている
・視野が広く、好奇心が旺盛
・実際自分が動いて何かしている
・頭が切れる
・最低限の気を使える
・それは普通は人にはいわないだろうって事いう
・悩んでいる、もしくは考えている事がある
・本読む
こう書くと全部自分の特徴なんじゃないかと思うが、
・変人
うん。間違いない。そう。
・自分の考えを言える
言えるね。教授に言ってキレられたけど。
・議論できる
できるかどうか知らんが、好き。
・専門分野を持っている
あやしい・・・。
・視野が広く、好奇心が旺盛
明日は、Wカップの組み合わせ抽選会♪
・実際自分が動いて何かしている
これも、あやしい・・・。
・頭が切れる
知らん。
・最低限の気を使える
できない。できるようになろう。
・それは普通は人にはいわないだろうって事いう
まぁ、そうか。
・悩んでいる、もしくは考えている事がある
うん、最近メンヘラの意味を実体験に基づいてようやく理解した。
・本読む
これは、そう。
みんさん、どうでしょう?
こんなとこです。
テストってなんのためにあんの?
前に、偏差値教育についてエントリーを書きました。
(こちら 偏差値教育って・・・。 )
こういうのを番組を見て、偏差値教育はダメでそうじゃない創造性を育む教育はいいんだとかいった極端な言論を良く目にするが、それもどうかと思うわけです。
偏差値教育を考える上ではテストの役割とかテストそのものについて考える必要があると思うんです。(ペーパーテストのことね。)
なぜ、学校にテストがあるのか?
これって、教育学やる上で超簡単な基本的事項だと勝手にいちえいは思ってますが、案外みんな知らないのかなと思うので書いておきます。
単純に、
「先生が自分の伝えたい事、授業でやった事をちゃんと生徒が理解しているか確認するため」です。
別に子供の能力を計るためにやっているわけではありません。
少なくとも、学校の定期テストは間違いなくそうです。
今まで、いちえいは平均点が17点だった高校のテストの話とか(もちろん満点は100点)赤点ではない生徒がクラスで2人しかいなくて先生が激怒したとかいった話は何回も聞いてきましたが、いちえいが先生ならきっとショックで学校休みます。
先生は先生である限り、生徒にある情報を伝えなければいけません。世の中には伝えない限り伝わらない情報があるんです。
(もっとも簡単な例は英語。おそらく5文型すらわからなくても生きてはいけます。が、伝えた方が良いに決まっています。)
その情報を生徒がしっかり受け止めてくれているか、理解してくれているかを計るのがテストです。だから、テストは存在するのです。
仮になかったとすると、先生は一体何を自分の授業の評価にしていいかわかりません。先生がしっかりとした授業をするためにテストは存在するのです。
絶対そうです。
(ここに書いた事は全部教育実習にいった時に肌で感じた事であり、実際に自分で授業をしてみるとよーくわかります。)
こうだと考えると、テストって必要でしょ。
少なくとも、学校の中では。
こんなとこです。