「あり得ない」って何?
先日、ちょっとした事で普段行かないスーパーに入りました。
「へぇー、こんなとこにスーパーなんてあったんだ」
って感じでふら~と。
入ってみたらびっくり!
やたら高い。
初めてのお店に入ると、
なんでも値段が気になってしまって、ひと通りの日用品の値段を見ちゃうのですが、
全部高い。
例えばですが、バナナがビニールの袋に一本一本入っていて一本198円。
高!(房からとってビニールに入れるコストいくらだよ)
お肉も、一番安い鶏肉で100グラム208円。
高!(胸肉なのに)
ふと、周囲をみるとなんか店員さんも小奇麗な格好をしている。
なんか、「どこの家政婦ですか?」と突っ込みみたくなるシャレた服装をしているわけです。
マジか~
どうしよ~
と思っていたのですが、
なにも買わずに出るのもあれなので、この店にしかなさそうなものを買って帰ろうと思い、スーパーの中をぐるぐる。
見つけたのは、「特製プリン」!
お値段298円。(ここスーパーですよ!)
最近良い事ないから、特製プリン食べて幸せな気分になろうとレジを待っていると
6歳くらいの子供が、店員さんに向かって
「オーガニックの納豆ください」
って言っているのを目撃。
あり得ね~
まず、納豆にオーガニックがある事にびっくりだし、
6歳くらいの子供がこのスーパー(おそらく超高級)に一人でいる事もびっくり。
さらに、普通に対応している店員さんにもびっくり。
あり得ね~。
理解できね~。
と思って、
プリンだけ買って帰ったのですが、
帰り途中に「こんな体験久しぶりにしたなぁ」といった変な満足感と
この「あり得ね~」って感情って一体どういう感情なのかといった変な疑問が湧いちゃったわけです。
あり得ないと思った事は間違いないのですが、僕があり得ないと思った事は実際あり得ているのです。そこに対する疑問・モヤモヤ感と、この感情って僕にとって良い感情なのか悪い感情なのかといった疑問が、ふつふつと湧いてきてしまいました。
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なので、色々と考えてみました。
「あり得ない」という感情は、
「人には日頃から想定している出来事があり、それとは全くかけ離れておりかつ瞬時に理解できない出来事が起きた時に生じる感情。この感情は嬉しいとか悲しいとかいった感情ではない。」
かなと。
僕の中では、
バナナが一本一本袋詰めで売られている事は想定できなかったし、鶏肉がやたら高いのも想定できていません。6歳の子供に口から「オーガニックな納豆」って単語が出てくる事も想定外です。
だからと言ってバナナがやたら高い事も、6歳の子供に口から「オーガニックな納豆」って単語が出てくる事も悪い事ではありません。僕が想定できずかつなぜそんな出来事・状況が起きているのか理解できないだけです。
もっとも、僕はこのスーパーの利用者に「お金持ちでいいなぁ~」といった嫉妬心もなければ、このスーパーに「また来たい」と思う事もないですし、
起きた出来事が、想定できておらず、かつ瞬時に理解できなかっただけす。
ただ、この「あり得ない」って感情が久々だったのです。
この体験とこの「あり得ない」という感情の考察によって気づいた事があります。
あ、案外、色々な事を想定して生きてるんだな。自分。
と。
僕は自分で変人である自信がありますし(なんだその自信)、
マジョリティよりマイノリティの方が優位であると本気で思っています。
一方で、どんな変人も許容できると思っています。
(もし、自分が変人を許容しないと、自分は絶対に他者から許容されないと思っているため)
けれども
「僕はあまりにも多くの事を想定して生きているんだな」と実感してしまいました。
(スーパーに行っただけなのに、こんなに「あり得ない」と思うなんて)
色々な事を想定して、それ以外の事を排除して生きていくのって楽かもしれないですが、「それってどうなの?」って改めて思ってしまいました。
いろーんな事に首を突っ込んで、いろーんな経験して、いろーんな人としゃべって、
「へぇ~、世の中にはこんな奴がいるんだ、こんな考え方もあるんだ~。超おもしれ~。」
って思いながら生きていくのが絶対楽しいかなと。
だから、僕の中では「あり得ない」って感情は「あり得ない」にしようと。
全く理解できない事があっても、その場で考えればなんかわかるはずですし。
「世の中、超おもしれ~」って思うために、
まだまだいろんな事に首突っ込んでみよ!
(最近、物理学の勉強を本気でしてみたいです。ナビエ・ストークス方程式とか。
なんか良い本教えてください!)
こんなとこです。
そんじゃーね!